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ぜんそく診療を行うまでの軌跡

院長自身がぜんそく患者であったこと
私が医師になった動機はぜんそくを診て研究する医者になりたいというものでした。

私は幼少時からアレルギー性鼻炎や軽度の小児ぜんそくがありましたが、高校のときに重いぜんそくになり、1年の半分も学校に通えないほどでした。夜中も呼吸困難のため眠れないこともあり、唇を紫色にして宝塚駅前の病院に自転車で救急受診したこともありました。今から思えばこれは適切な治療がなされていなかったからです。危険な管理状態でした。当時近所の内科開業医にかかっていましたが気管支拡張剤さえも処方されず、東洋医学の針治療をして、前後のIgEという血液の値を見るなどというような国際水準からはかけ離れた治療でした。(現在は吸入ステロイドに対する理解が進み多くのぜんそく患者が救われていますが当時は吸入ステロイドは普及していませんでした)。その上、家庭環境と言えば畳にじゅうたんで、普通の布団、猫も飼っているという状況で、アレルゲン(アレルギーの原因となる物質)は非常に多かったと思います。私は窒息させられる拷問のようなぜんそくの苦しさを知っています。一発でぜんそくを完治するという怪しい注射を東京まで受けにいったり、高い漢方薬を飲んだりしたこともありました。


ぜんそくを治すために沖縄の大学に進学
私はぜんそくを治すために沖縄に移住を考えました。とにかく何でもいいから環境を急激に変えないと駄目だと考えたのです。琉球大学に入学して、同時に部屋の環境も変えました。畳やじゅうたんは一切無い床の部屋にして、ベッドもマットを敷かず、お風呂に敷くウレタンマットを接着剤で貼り付け、その上にシーツだけを敷いて寝ました。布団は使わず、丸洗いできる毛布だけにしました。殺虫剤を染ませた雑巾で床を拭きました。ダニ対策のためです。その結果、私は一切ぜんそくの症状が出ない状態になることに成功しました。沖縄に移住したことよりも部屋のダニ対策を徹底したことが完治した理由だと思っています。沖縄でも合宿などでほこりっぽい部屋に泊まると、鼻がかゆくなり、そしてゼイゼイ胸が言い始めました。それから25年以上経ちますが、私は1回も発作を起こしたことはありません。完治しています。居住する部屋の環境には常に気を配っているためです。


ぜんそくを診る医師を目指して呼吸器内科研修医として医師をスタート
私は琉球大学を卒業し、ぜんそくを診て研究する医師になるために京都大学胸部疾患研究所第二内科に入局しました。阪神大震災では内科医として避難所に宿泊、診療もしました。しかしぜんそくの診療にたどり着く前に、多く受け持ったのは末期の肺がんの入院患者さんでした。医局の新入局者は私一人で、病棟中の重症患者の初期対応をしなければいけない情況でした。医師になって始めて使った薬がモルヒネでした。夜にも呼吸が苦しい患者さんのコールが頻繁に続くため家に帰れずないような日々でした。そして肺がんには打つ手がありませんでした。そして親しくなった患者さんの死を目の当たりにし、その患者さんを病理解剖しなければならないということは私には辛い行為でした。

私は肺がんにはホスピスが必要と感じ、副作用の強い治療によりわずかな生存を伸ばすその大学病院の医療に疑問を感じ(治療が非常に有効なタイプの肺がんも中にはありますが)その他多くは戦車に竹やりで向かっているようなものだと感じました。そして死というものを何とか受け入れようと仏教の本などを読みましたが、私の結論は呼吸器内科医を辞めることでした。


呼吸器内科を辞めて眼科に転科
そして反動で、患者が死なないが生きている間にいかによく生きるかを手伝う科目として、眼科を選択しました。京都大学眼科、福井赤十字病院眼科を経て、日本で2番目に薬剤処方量が多かったマンモス病院の神戸市立中央市民病院眼科で多くの症例を経験し眼科専門医を取得しました。


再び内科医として研修、診療を行う
内科を中断してしまったという心残りがあり、京都大学の総合診療科に呼吸器内科時代の先輩が居た関係もあり、2002年から再び内科医としての診療も再開しました。総合診療科はいわばなんでも屋で、消化器内科、循環器内科と細分化された内科のどこを受診してよいか分からない患者さんが受診する科です。結果的に大学病院の総合内科の患者さんの三分の一は精神疾患で、うつ病の抗うつ薬投薬治療も多く担当いたしました。

一時期京大病院の総合内科の初診外来を担当させて頂いたことは私の内科医としての一定のレベルを患者さんに示す材料となると考えますのでお示しいたします。 2005年当時の京都大学医学部付属病院総合診療科の外来担当表です。木曜日の初診を担当していました。

伊丹市の南谷クリニックでの非常勤勤務では土曜の夜の内科・小児科も診療し、当時はこども急病センターも無く、地域では唯一土曜の夜診療している小児科で、宝塚市民病院から紹介されて受診する小児患者さんが来るような状況で、インフルエンザの時期には小児の患者さんにあふれ、夜の11時までかかるようなこともあり、1日何名かを小児重症患者ををトリアージ(選別)して近畿中央病院小児科に送っていました。このような小児科診療の経験も積んでおり、小児喘息患者さんの喘息以外の風邪などに対する診療も可能です。 その他、枚方市の総合病院に非常勤内科医として外来を担当しておりました。


川西市で眼科・内科で開業
その後川西市での開業では当初眼科・内科を標榜しましたが、眼科が多忙なためと、内科は診察に時間がかかり、京大総合診療科で行っていたEBM(evidence based medicine)という方針で科学的にやりますと丁寧に問診や触診をして、薬や検査は無しになることが多く、保険医療制度上、問診や触診は無料(診察代として請求ができない)のために中途で内科は休止しました。


宝塚安倉にて気管支アレルギー科を標榜
宝塚安倉に開業するにあたり、眼科に併設して内科の中でも主にぜんそく診療に限定した形で気管支アレルギー科を標榜することになりました。喘息治療の主眼を家庭環境改善においている医療機関は殆ど無い為に当院の方針は特色があり診療する意義があると考えたためです。実際に診療を開始してみますと、吸入ステロイド治療を十分に行なっていないというレベルの患者さんが多く、家庭環境改善以前にその点を改善しなければいけない患者さんが多いという認識です。